オアシス

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しばしの、お別れです - 雪女

2010/03/15 (Mon) 23:54:20

この瓢湖から、白鳥たちが飛び立っていってから、私の「未練」に応えるかのように、ひと時また雪が降りました。
五頭・菱ヶ岳の山脈はまだ純白の雪に覆われています。

平地の雪は殆ど消えて、田畑はやがて春の豊穣な装いになろうとしています。まだあちこちに残雪の残る畑にも、耕耘機の音が響き始めました。

私の、立ち去る時がきました。
ひと時だとはいえ、私はやはり寂しいし、あなたも寂しいと感じてくれているのはわかっています。
でも、私が純白の衣をなびかせて、野山を吹き渡ったこの月日は、単なる凍結の時ではなく、やはり、新しい芽生えに向けた生命の胎動の時でもあったのです。

越後は、雪のゆえに苦しみながら、また、雪の故に生命を豊かなものにしてきた国です。

次郎さん。……山の峰々の雪が、まだ汚れた色にならないうちに、一度、帰って来てくださいね。
私のためではありません。あなたの生命を洗うためです。
いいえ、あなたが汚れているからというのではありません。「汚れていようといまいと洗浄する、それが仏法における洗浄の意味だ」と道元様もおっしゃいます。
「我昔所造諸悪業 皆由無始貪愼痴 ……」の懺悔文は、現実の犯してきたあれこれの罪に対するものだけではないでしょう。生きるということ、それが、常に、所造諸悪業と背中あわせだということなのでしょう。
洗浄の上に、さらに洗浄が必要なのですね。だから、……純白の雪の残る内に、その上を歩きに来てください。きっと、私はそれをどこかで見ています。

半身の…… 次郎

2010/03/16 (Tue) 00:13:50

あなたの「立ち去り」の時が来ると、私は、何となく、自分がまた「半身(はんみ)」になるような気持になります。その寂しさを「まぎらすために」、昨年は大学での生活に入っていったような気がします。そして、あなたの「帰り」とともに、大学を離れました。
今年はもう大学には戻れません。どうしたらいいのでしょう。

それを考えるために、そうですね、山々の雪の残る内に、その中に身を置きにまいりましょう。また、頑張って生きてみます。

かえってご無沙汰し申し訳ありません。 - 泥中蓮華

2010/02/27 (Sat) 16:40:11

昨晩は携帯を見ずじまいで失礼いたしました。
今までの葛西への勤務ご苦労様でした。たとえお昼に勤務を終えたとはいえ、帰路も電車に揺られ大変だったのではありませんか。この度は加須の病院に勤務替えの由、結構なことであります。然し、車での通いとて一時間以上かかるのではありませんか。少々心配です。 
 いつも先生のことが気になっておりますものの、わざわざ大学まで来ていただくのも恐縮なこと何処かでお会いする機会はないものかと思いつつもご無礼のままになってしまいました。佐野さんともども会いに行こうと語ってもおりましたのですが私の時間の都合がつかず申し訳ないしだいです。お休みの日でお暇なときがございましたらこちらから参りますのでお知らせ願えませんでしょうか。
 お蔭さまにて大学の方は特優と優を頂戴しましたがオール特優にはなりませんでした。やはり教授らと本質のところで実存的済度の立場と文献学的教学の立場は乖離のままなのでしょうか。そのせめぎ合いに教授の主観的判断を被らざるをえません。或いは逆に特優は教授方がおまけにくれたのかも知れませんが。いずれにせよ車の両輪の如く、知行一致、行学一如に非らざる片肺飛行の教学はなにか歪んでいるようでもあります。
 武蔵野大学から日曜講座の冊子が数十冊送られてきまた。そこには小生の師匠筋、中野東禅師の講話も載っております。お送りしますのでお暇な折にでも雑覧してください。もう一冊『心理療法としての仏教』もお送りします。釈迦に念仏でしょうけれど。 私はキュブラ・ロスではないですが終末期医療やビハーラ 或いは精神分析にも関心がありケア的意味からもキリスト者のそれではなく人間存在の根源的本質的な救いは仏教の根本的立場からでしか得られないのではないかと考え、自己の究明せざる処を学ばんと大学の門を叩いたのです。その意味からどうしても尊崇するナーガルジュナ師『中観』を窮めることならびにヴァスバンドウの有的な『唯識』を大学の学者的分離教学ではなく、この『中観』の空と『唯識』の有は統合、収斂或いはAufhebenされるべきと考えています。「色即是空 空即是色」を教学的立場でなく身に読めば中観と唯識は表裏一如であり何等矛盾は無いと思うのです。然し教授連の思考は細分化しており全体構造が見えなくなっているのではないか。                         
 物理学的意味も現代仏教の中には収めるべき時期がすでに到来しており、〔物質・生命・自我〕に関してもシュレーデインガーが試みたように四次元連続体の構造の中に収斂されざるを得ないと思う。元よりこれは有としての『唯識』の物理的側面からのアタックではある。物理学はともかく同じ仏教が無自性派と自性派で相容れないのはやはりおかしい。空と有が即是なること見ないが故の争いでしかあるまいと思う。「運動のダイナミズムが存在の根拠」2010/02/14「諸行無常~弁証法的唯物論の世界認識がまったく無縁には思えない・・・」にも通底していましょう。『全機現』のところで述べられて通りではありませんか。『生死ー雪女』の「なにものか」の現成・・・素晴らしい。先生はすでに生命の縁ってきたるところを観ておられる。生死一如なる光明の大海を知っておられる。たとえ孤高とて寂静の法悦あれどどうして寂しかろうや。智者先生に幸あれ!!
話が飛んでしまいましたが車の運転くれぐれも気をつけて細心の注意を以って前後左右全体を見て大丈夫ダロウ運転ではなく防衛運転でお出かけくださいますよう!!

泥中蓮華さんへ 次郎

2010/02/28 (Sun) 20:08:21

立ち寄って頂いてありがとうございます。お元気のようで、何よりです。

大学の講義に今一歩の深み、高みの足りなさを感じられながらも、まさに、

《『中観』の空と『唯識』の有は統合、収斂或いはAufhebenされるべき……》

とつぶやかれつつ、蓮華さんが《一如への道》を求め続けておられることに、敬服の念を禁じ得ません。

物理的な距離はあっても、私たちは、同じこの娑婆世界の中で生きています。自分の行住坐臥が人々と冥資しあうことを信じて頑張って生きてまいりましょう。

お手紙はいつも新鮮で刺激的です。ぐいぐいと響いてきます。これからも、よろしくお願いいたします。

V.セルジュの総括 次郎

2010/02/24 (Wed) 14:25:45

 「一革命家の回想 下」――母なるロシアを追われて――より

……自分について語ることに、わたしが殆ど興味を感じていないのだとは、既に指摘されてきたところだ。
わたしには人間を彼がその中に参加している社会の総体、思想、行動から切り離して捉えることは難しいのだ。
それは彼よりもより重要であり、彼に一つの価値を付与してくれるものだ。
わたしは自分を個人主義的だとは何ら考えていない。個人としての人格は、きわめて高い価値を有するにしても、つまりは社会と歴史の全体の中に統合されるものとわたしは見なしているのであり、わたしはこの意味でむしろ《人格主義》なのだ。
一人の人間の経験や思想は、このような意味においてのみ、記憶に留めるに足る意味を持つ。
とはいえ、ここにいかなる自己消滅への欲求をも見るべきではない。わたしは固く信じているのだが、人は他を軽視しようとする欲求も、自己の責任を放棄することもなく、単純に充全に彼自身であるべきだ。
結論的にいえば、人類共有の生に参加しようとするよき意志を除けば、わたしたちいは、本来何ものも固有のものとして属してはいないのだ。


数十年、ロシア革命とその変質の長い道筋……常に暗殺・暗闇での処刑、貧困と飢餓による死の危険の道筋……を生き伸びたV.セルジュのいわば最後の遺言のような文書である。
私はこの書を、1970年の冬に買い求めていた。しかし、読み切ったのは、今、2010年の春である。
ひと息には読み切れない重い書だった。書が重いのではない、彼の生きた時代、時が、余りに重かったのだ。しかし、その重さに耐えて読み切った者に、V.セルジュは、慰藉するように呼びかける。ともに歩こう、と。

V.セルジュの思想の評価などは私にはできない。

ただ、
「闘い続けたわが世代の情熱と経験とそして過ちさえもが、未来に向かうその路を幾分なりとも照らし出すよすがたらんことを!」
の言葉を、素直に、真摯に、受け止めたいと思う。

マルクス・エンゲルス全集の思い出 - K

2010/02/26 (Fri) 19:48:36

今は絶版となってしまった大月書店の「マルクス・エンゲルス全集」、……私はあの東大闘争の中で何冊か買い求めて読み、あなたに「預かっていて下さい」と渡して、……そのまま、あなたに持ち続けて頂いたのでしたね。今も持っていて下さっていますか。

どんな思想も「絶対」というものはない、と単純に言い捨てることはできません。「絶対化」してその思想を遂には窒息させるのは、人間個々人の、そしてまた、人々という集団・党派の硬直化、「思想病」なのですね。

どんな思想も、生き続けるには、不断に「養われ」続けなければならないのです。それはつまり、世界史の現実から決して遊離せず、ドグマに陥ることを自ら拒否していくこと、絶えずフィード・バックを受け、自己点検を重ねて行く率直さ、真摯さを持ち続けることによるのですね。

それは、仏教的に言うならば、修証一如、悟後の修行の継続ということになるのでしょう。

「運動のダイナミズムにこそ存在の真理がある」と言ったマルクス・エンゲルス……「わが世代の情熱と経験とそして過ちさえも」と言うV.セルジュの率直さ……もう一度私たちは、考え、学び直さなければなりませんね。

それにしても、今の若い人たちは、どんな思想を学び、考えているのでしょうか。……

私は、果てしなく続く「生きるための闘い」を続けながら、柔らかい心を失うまいとしています。

ずっと預かっています 次郎

2010/02/26 (Fri) 21:18:52

「マルクス・エンゲルス全集」預かっていますよ。

今は仏教書は道元禅師の「正法眼蔵」をひたすら読む(でもまだ六回目くらいでしょうか)ことだけに絞っています。

そして残りの半分の時間には、文学書、哲学書を読み、色々の映画を見ています。

あなたの制約された時間に比し私はまだ多くの時間を持っています。半ば出家したような生活ですから。

あなたには何もしてあげられませんが、かつてあなたが言った、「あなたが善く生きていれば、生活の場は別であっても、きっと私も善く生きていける」という言葉を胸に、私もまた私なりに懸命に生きています。

預かったのに加えて、あれから私が買いたし、読みたししたものもあり、全集は「全巻」そろっています。近くまた、エンゲルスの「反デューリング論」を読んでみようと思っています。そう、「運動のダイナミズムが存在の根拠だ」という存在論です。
仏教の縁起説、「諸行無常、諸法無我、一切皆空」の法印を学んだ頭で、あらためてどう読めるでしょうか……。

どうぞ、頑張っていって下さい。

不条理の現実認識から逃れまいとする精神 次郎

2010/01/18 (Mon) 08:49:45

  ーA・カミユ「シジフォスの神話」の「不条理の推論」よりー

人を嘲弄してやまぬあの理性、これが私を一切の事物に対立させているのだ。……
私にきわめて明らかに真実だと見えるものを、それがたとえ私を否定しようとするものであっても、私は支持してゆかなければならない。
そして世界とこの私の精神とのあいだのこの闘争、この断絶の基礎をなすものは、この闘争この断絶を意識する私の意識以外の何であろうか。それ故私がこの闘争を維持し続けてゆくのは、不断の、絶えず新たにされ、絶えず緊張させられる意識によってである。……
道は再び無名の「ひと」の世界を見いだすが、しかし人は今度は反逆と明視とをもってそこに入ってゆくのである。彼は希望を抱くすべを忘れ去った。現在のこの地獄、これが結局彼の王国なのだ。……
何ものも解決されぬ。だがすべては姿を変ずる。死ぬのか、飛躍によって逃れるのか、自分に合った観念と形態の家を再建しようとするのか。それとも反対に、苦痛にみちた驚くべき不条理の賭を持ち堪えようとするのか。……
不条理を生きうるか、それとも論理は不条理の故に死ぬことを命ずるかどうかを知らなければならないのだ。

情緒に逃げこまないで 次郎

2010/01/18 (Mon) 09:04:00

「私が関心をもつのは哲学的自殺ではなくて端的な自殺そのものである。ただ私は自殺から情緒的な内容を洗い流し、この論理とその誠実さを認識したいと思うだけである」……とも言うカミユ。

情緒的内容は、西洋においては、結局「絶対的な神への飛躍・回帰」となりおわる。不条理からのその道での「脱却」は、「解消」であって、いわば「ごまかし」だとカミユは考えるのだ。
「神」を持たない我々は、現実の不条理の認識から生じた自らの情緒的内容を、どう担っていきうるのだろうか。

日本人の情緒 - 雪女

2010/01/25 (Mon) 21:17:28

「絶対的な神への飛躍・回帰」をなしえない私たち日本人は「寂しさ」をより深く、生涯にわたって担い続けるということになりますか。

それでも、日本人が、「情緒的内容」を孤高に凛々しく担って生きているといえるかどうかは疑問です。おそらくは、むしろ私たちの「情緒的内容」は突きつめられない深さで終わっているのだと言えるでしょう。

「巧みに」とも言いかねるほど無意識の作業として、日本人は、情緒から思考に進むことを避け、どこまでも情緒から情緒へのスライドを続け、情緒の中にとどまり続けるのです。

よしあしではなく、それが、日本人の「特性」なのかもしれません。

梅のつぼみがふくらんできています。 冬は冬を生き、春には春を生きましょうね。

雪です 次郎

2010/02/01 (Mon) 21:20:20

夕方から、雪が降り始めました。
もう、すっかりどこも真っ白です。気温が低いのでしょう、細かな雪が、音もなく降り続いています。

故郷の湖には、まだ白鳥たちがいますか。
明後日はもう節分。白鳥たちは雪に埋もれながらでも、飛び立つべき時が近いことを感じ取り、飛翔の練習を始めます。
路傍の雪に少しへこみがあったら、その底には、ふきのとうがふくらみ始めています。

あなたはどうしていますか。
あなたを感じながら、私は、雪を見つめています。

条理は「真理」? それとも「我見」? - 雪女

2010/02/03 (Wed) 12:53:00

人は、どんな時に、この世界を「不条理」だと考えるのでしょうか。「不条理」は「不条理の感覚」なのでしょうか、「不条理である認識」なのでしょうか。
人は、幸福のさ中においても、不条理を感じているでしょうか。ほとんどの場合、不幸や哀しみの中で不条理の感覚をもつのではないでしょうか。

「条理」とはなんでしょう。どういう事を条理だとするのでしょう。「自分にとって」の条理は常に人々万人にとっての(……私は、多くの人々という数のことを言っているのではありません。民主主義的な多数者ということを言っているのではありません。仏教における”衆生”のことを言っているのです。)「かくあるべきという我見」を条理としていないでしょうか。

この世界が「因縁生起」であり、「空」であるという認識と、「条理」「不条理」という認識とは、どう交わり、あるいは交わらないでしょうか。

あなたとともに 次郎

2010/02/14 (Sun) 00:11:40

仏教を学び、仏道を生きようとしてきた十余年でした。
仏教の「教育」では日本一、世界一と言われる駒澤大学で学んで来て、私は「仏教」に疑問を抱き、きらいになって行くような自分を感じました。
教学仏教というものが淡々と無味乾燥であったのではありません。むしろギラギラとした学者の相互批判、名利欲に近い競争意識がみなぎっていました。
「精緻な文献学的考察」の根拠から、道元禅師でさえも、文献の「恣意的引用」をし、もっと言えば「悪意の引用・改ざん」をしたと批判されるような世界でした。
そのどこにも「宗教」はなく、「仏道を生きる者」の姿はありませんでした。いるのはただ「学者」だけでした。

教学仏教は、道元禅師がもっとも忌み嫌われた「論師」の衒学にみちていました。そういう場で学べば学ぶほど、私の素朴な信仰心は息の根を止められていくように思えました。だから……私は遂に大学を去りました。

これからは、坐禅をしながら、「仏道を生きる」努力をしていくつもりです。
今はその前に少しお休みをして、カミユやカフカやサルトルなどの実存主義哲学の書を読み返し、また、ドストエフスキーや、ロマン・ロランを読み返し、さらにロシア革命の崩壊期における反体制派への数知れない「粛正」の記録書を読んでいます。
それは、仏教を学び実践しようとする者の「脇道」であり、「雑学」であり、心を散乱させるだけの時の浪費だと言われるかもしれません。
でも、私の中では、それらを学び直し、その上で突き抜けて行く時に、仏教の世界観、人間観が、よりはっきりとわかってくるような気がするのです。

諸行無常、諸法無我、一切皆空、寂静涅槃、……その世界認識と、マルクス・エンゲルスの弁証法的唯物論の世界認識がまったく無縁には思えない今の私です。
「物質の運動のダイナミズムが現実存在の基本である」ということと、「現実存在は因縁の連鎖・複合の果としての仮の存在である」ということとは、似ている把握だとさえ感じます。
もちろん、そんなふうに「感じる」だけでは浅薄に過ぎます。自分の中で、どう似ていて、どう違うのかが、「言語化」できるまで考え詰めなければなりません。
それは、仏教をより深く理解し、受容するための道筋です。

「法(ダルマ)」は洋の東西を問わず、時代の様相を越えて「普遍であり、不変でもある」はずです。私はそう信じています。だから、「雑学」を学んでも、真実を見失い、知的に迷子になる恐れはもっていません。
「西洋と東洋の融合・統一」などという大それたことではなく、これは、私の、仏教に向かい直す学問の「個人的な」道筋です。

雪女さんからみたら、また迷い出していく危うげな私に見えるかもしれません。でも、私は彷徨しているのではありません、検証をしているのです。大丈夫です。
私は、あなたと共に歩む道を決して踏み外しません。どうか、見守っていて下さい。

全機現 次郎

2010/01/17 (Sun) 10:28:29

「機」とは、物事の起こるきっかけであり、また、大事なかなめであり、それらに
導かれて熟し存在として現れる私たち「衆生」のことですね。

「全機現」とは、きっかけ(縁)を受けてかなめの枢要を
存在としてあますところなく現成するということですね。

「生」も現成なら、「死・滅」も現成だと言われるのですね。

そして、この「かなめ」たる「なにものか」から離れないで生きていく限り、
「ともにある」のですか。
さびしがらないでいい、と言ってくれるのですね。ありがとう。

「かなめ」たる「なにものか」を知るために学びの場に入りました。
明日が入学式で、今は、若い学生さんたちと一緒に寮に入っています。
光陰矢の如し。……でも、あせって走り回っても駄目なのですね。
「なにものか」を「認識の対象」「つかむべきもの」として追いかけるかぎり
「それ」はどこまでも抜けるように逃げていきます。

「青い鳥」のように、
「いま」「ここに」「この」存在として現成しているではないかと
時々は思い直しながら、それでも参究の道を歩み続けるつもりです。

見守っていて下さい。

生死 - 雪女

2010/01/17 (Sun) 10:32:03

生は継続的時間、死はそれを断ち切る暗黒の恐怖の瞬間、といった考えを
道元は否定しています。

生とは、「なにものか」の現成(あらわれ)であり、
死もまた「なにものか」の現成だと道元は言います。

生だけが十方世界、山河大地をもつわけではない、
死もまた、十方世界、山河大地をもち、
瞬間的暗黒ではなく、「死である」状態として
光明を現わしているのだと言います。

私が立ち去る時も、やがて来ますきました。
しかしそれは、暗黒の時や、無への崩壊・霧散ではありません。
ただ、立ち去る時がきたというだけのことです。

私の立ち去りは、春の訪れ。
私が春を連れてくるわけではないけれど、
春が来れば私は立ち去るのです。
私は春を妨げない。

冬は冬として「なにものか」の現成(あらわれ)であり、
春は春として「なにものか」の現状(あらわれ)です。

大切なのは、私たちが、この「なにものか」を生き、
「なにものか」において自分を現成しているのだと自覚することです。

私は立ち去ると言うけれど、どこへも行きはしません。
ひととき、この「なにものか」に溶けるだけです。

あなたが、この「なにものか」から逸脱しない限り、
私はあなたとともに、いつもあるのです。

まだ行かないで下さい 次郎

2010/01/17 (Sun) 10:38:21


[人は、誰しも闇から生じて闇に帰るだけのものでは決してない。道元にとっては、生も光る海、死も光る海なのである。]

  ――「正法眼蔵の死生観」(道元の世界)久木直海――

春はあなたの立ち去る時、……それは「死」ではないけれど、
いくたび送っても、やはり毎年寂しい私です。
まだもうしばらくはいて下さいね。
五頭の山もまだ真っ白でしょう。

季節はゆっくりと 次郎

2010/01/17 (Sun) 10:26:36

お布団を干したり、洗濯をしたりしています。
私のもともとのこの家の荷物、
父が亡くなってその家を片づけて持ってきた荷物、
さらに一年前に診療所を閉鎖して整理して持ってきた荷物、……
すべてを運び込んだこの家は見るたびにため息が出るような状態になっていましたが、一所懸命に片づけてきました。

ようやく、畳が見え、床が見え、……となってきました。
あと二週間のあいだに、家じゅう拭き清め、外回りも片づけようと思っています。

家は所詮ただの「うつわ」、地震一発でいつでも消滅するはかないものだけど、
その中で「生活」を営んでいくものだから、
「生活」自体の意味をを否定しない限り、
「夫婦」「子供」「家族」の意味を否定しない限り、
やはり家は大切な場ではありますから。

テオ・アンゲロプロス 次郎

2010/01/17 (Sun) 10:23:31

「国境を越えて来た。……国境、……国境、……もういくつ国境を越えたら、……私は<我が家>にたどり着くことができるのだろうか……」

「国境」とは目に見えぬ人間の拒絶、排斥、……「わが国」に入り、「わが町」に入り、……「我が家」に入ってもなお、そこに立ちふさがる人々の心……ついに「私」は異邦人であり続け、「さまよえるユダヤ人」のように、歩き続けなければならない。行き着くことのない<ふるさと>へ向かって……。

疎外 - 雪女

2010/01/23 (Sat) 23:27:16

近代資本主義社会では、どんな小さな村においても、人間関係は「利害関係」にスライドして行くようです。
それを克服しようとする営為が「国境を越える」ということでしょうか。あなたの孤独は、よくわかります。

でも、「疎外」は、本来(ヘーゲルにあっては)、自己の精神が自己を否定して、自己にとってよそよそしいものになることです。疎外を生み出すのは自己の精神です。だとしたら、疎外を克服するのも自己の精神によるしかないのかもしれません。
だから、「国境を越える」営為は、分裂した自己と自己の精神とを、今一度、「一如」たらしめようとする求道の旅となるのでしょう。
寂しいですか。……分裂したままでも、少し憩うことはできませんか。私は、いつでも、あなたとともにいますよ。

もう消えないで - K

2010/01/17 (Sun) 09:50:15

「ふるさとは、遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの」……でも、次郎さん、やはり、<ふるさと>は、私たちの心の中にあるのだと思います。
旅していくけれど、それは自分の内心への旅、自分を見つめながら、もっと深く、もっと根源的にと自分の核に迫っていく旅です。

そう思いつつ、今は肉体的には旅もできないでベッドに「拘束」され、制癌剤のもたらす吐き気や嘔吐、脱毛や発熱、言いようもない倦怠感との格闘に疲れ果てながら、あなたのしてきた旅を思い、私のしてきた旅を思って、それがかけがいのない大切なものであったことを考えています。

あなたは私への旅であなた自身を見出し、私は、あなたへの旅を通して本当の自分を見出した、それが「私たちの旅」だっだのだと、……それをともにできた歳月を幸福だったと思っています。

それでも、あなたが雪の瓢湖と五頭山を見たいと思うように、私も、旅は心の中へなのだと思いつつも、あの安曇野と、空に稜線をくっきりとくぎる北アルプスの山々をもう一度見てみたいと思い続けています。

あなたには、私の生きている場所はついに教えないできました。これからも言わないままで、消えていくのかもしれません。でも、私は、いつでも、あなたを「見て」きていたのですよ。これからも、いのちある限り……だからもう、「消え」ないで下さいね。

はるかなるKへ 次郎

2010/01/17 (Sun) 10:40:49

私は、あなたのお姉さまの訪問を受けました。何十年ぶりの出会いだったでしょう。……

私は、あなたのことは、心の底に封印して生きてきました。あなたのお母様が亡くなられたと知った時、私は信州のあなたの家を訪ねました。その家は、夜の闇の中で、かつてあなたに伴われて入っていった時のままの姿で立っていました。でも、それはもはや、私には入ることが許されない家でした。私は、ただ心ばかりのご香典を走り書きの手紙とともに封筒に入れて、玄関のポストに入れ、手を合わせて祈って、帰って来ました。

後日、私の所にお姉さまから電話があり、あれはあなたからのものだと思う、受け取ることはできないからお返しする、と言ってこられました。それに、妹はもうほかの人に嫁いだ身になっているのだから、心得ておいてくれるように、とも言われました。そして、それは、送り返されてきました。

それが、あなたとのまたの「お別れ」でした。以後、私は、松本の地に足を踏み入れたことはありません。

あなたのことを「忘れる」ことは決してありませんでした。喜びとしても、悲しみとしても、悔いとしても、償わなければならない罪としても、私は抱き続けてきました。それでも、それは心の底に封印しての抱きでした。
その封印は、あの日、突然の訪問で、あなたのお姉さまによって、私は解かれてしまいました。
あれほど厳しく拒絶した私を、なぜお姉さまは、訪ねるなどということをされたのか。……

「私があなたを訪ねたなどと聞けば、妹には叱られると思うのだけれど」と言いながら、お姉さまは、あなたが、リンパ節の肉腫におかされて闘病していることを告げました。
「妹は癌の末期患者などを見守るケア病棟の婦長をしていたのだけれど、今は、自分自らが、そうした病におかされて、ターミナルの状態にある、気丈に耐えているけれど、薬の副作用で苦しんでもいるし、そんな自分の姿を見せたくないと思うのか、誰も見舞いになどこないで、と言ってくる。……どうなのでしょう、希望はあるんでしょうか」

私は、まともにお返事もできませんでした。心が惑乱して、冷静に「医者として」耳を傾けることも、助言することも、励ますこともできませんでした。

「信州に来ることがあったら、家にも寄って下さいね」と言って、お姉さまは帰っていかれました。
それを素直に「赦し」として聞くことも私にはできませんでした。お姉さまは、冷静な心の状態で私を訪ねてこられたとは思えませんでした。どうしていいかわからない、ある意味では、うろたえの中で、わらにもすがるような思いで、希望を探し求めて旅してこられたのでしょう。

それでも、お姉さまは、私をもう「赦して」おられるのだとはわかりました。もちろん、あなたの「幸福」を侵したり、妨げたりすることは許さないけれども、私に、あなたを真の意味で「愛して、守って」欲しい、「力を貸して」欲しいと思っておられることはよくわかりました。

でも、私に何ができたでしょう。お姉さまは、あなたが闘病生活を送っておられる病院の名も言われなかったのです。私には、ただ、あなたが生きている、ということと、そのいのちが、危機にある、ということしかわからないのでした。

私が仏前に手を合わせ、「あの人を生かしてください、私のいのちをあの人に与えてください」と祈り、参禅に通いだしたのは、その時からのことです。
あれから、あなたのお姉さまからの音信はありません。何度か松本を訪う事も考えました。でも、それは、本当に許されたことなのか、そうでないのか、私にはわかりませんでした。
音信が無いということは、あなたがまだ生きていて下さるということだと、信じてきました。それだけが、私の救いでした。

あなたは、あれからの日々も、いつだって、私の希望であり、私の良心の源であり、私を「人々」に向けなおし、向け直しする励ましの鞭であり続けていたのですよ。

あなたは、私を「見ていた」と言ってくれる。しかし、かつての「オアシス」に、あなたの足跡がしるされることはなかった。あなたは私からすれば、絶対的に心を切り替えて私を立ち去って生きているのだとしか思えなかった。
今「見て」きていたのですよ、と言われて、たしかに、「探す」ことをしない限り見出せないはずのこの蜃気楼のような「オアシス」の存在を、あなたが見出した、ということは、あなたが私を探してくれたことにほかならないとわかります。だから、あなたはたしかに、「見て」いてくれたのです。

ありがとう。
私が生きることが、あなたの生きることに背反し、あなたのいのちを縮めることになるのなら、私はすぐにでも、このいのちを断ちます。
でも、あなたが私も生きることを求めてくれるなら、私もまた、なんとしても生きる努力をします。
私のいのちの波動が、どこにいるのかわからないあなたへ、それでも届くことを祈りながら生きていきます。

この寂しい夢は 次郎

2010/01/17 (Sun) 09:39:42

「怖い夢は、幸福な物語の序章」……と、あるところにあった。それは、「気休め」の言葉かもしれないけれども、夢の余韻に苦しんでいる時には、祈りか呪文のように、「怖い夢は、幸福な物語の序章」と唱えていると、こわばった心が少しずつほぐれていくように思えたりもした。

 しかし、この「寂しい夢」の残した切ない余情をどうしたらいいのだろう。
「怖い夢」は、やや「奇想天外な夢」でもあって、物語自身はどこか現実味を欠いているので、乗り越えることができる。だが、自分が過去に現実に歩んできた道と、その道筋で出会ったり別れたりした人々、失ってきた大切なものたちを鮮烈に思い出させるこの寂しい夢は、現実味を帯びているどころか、現実にあったことそのものであって、長い忘却のはての突然の想起なのだ。
 何をどう唱えてみても、その想起がもたらした深い悲しみと寂しさの思いは、消えていかない。それは埋葬された過去の復讐のようでさえあり、キリキリと胸に突き刺さってくる。一日、一年のばしに真の懺悔を先送りし、いろいろの理屈を立てて生きてきたことへの、それは、裁きなのかもしれない。

「有罪」と、それは言っている。「上告棄却、有罪」と。……虫のよい自己憐憫は粉砕される。そしてなお、……生きなければならないのだ。

「放下(ほうげ)」しようとしても、こびりついて離れない「我」にかかわる情識は、捨てられてなるものかとしがみついてくるようだ。

 何かが終わっていないのだ。
「寂しい夢は、追想への回帰の再開」なのだろうか。「放下」とは、徹底的な凝視のすえにのみ許されうる行為なのだろう。
 なにもかも、中途半端にしながら生きてきた私を、今、夜々に、「夢」が裁いて放さない。

ようこそ - 次郎

2010/01/17 (Sun) 09:30:52

御訪問、ありがとうございます。
誰も訪れることなどないとあきらめながら、それでも
そよ風がふと忍び入ることがあるかと、時々扉を開けて
覗き見ていました。
何か、ひとこと書いていってくださるとうれしいです。

再びの、オアシスに - 雪女

2010/01/17 (Sun) 09:34:45

遠い雪国から、県境の山々を越えて、呼びかけを送ります。私の身が解けて流れる季節ももうそこまできているようです。それも、これも、生きたあかし、悔いはありません。
私から解けだした水が、緑を育て、花を咲かせ、結実へと導くのですから。

とりとめない日々の行住坐臥そのものが、「法」の顕現だと、私も思うことにしましょう。
自分の変哲ない日々を、何か「大きな真理」へ向かう「過渡的過程」と考えるのは間違いなのですね。過ぎゆく「過程」なのではありません。
この日、この時だけが真実であり、真理なのです。

雪女さんへ 次郎

2010/01/17 (Sun) 09:36:55

道元禅師の説かれる仏法を学んできて、「とき」「ところ」というものについての
考え方が変わることを求められていると思いました。

「因・縁・果」は仏法の存在論にかかわる根底的なものであり、
そこでは一方では、「とき」は「流れ」「過ぎ」ゆくもの、……
先立つ「とき」を「因」として生じるものと理解すべきものとなっている気がします。
しかし、一方では、「存在」の真実はひたすらに
「いま」「ここ」のこと以外にない、とも説かれているようです。

私自身は昔から、「このとき、ここ」の生活は、
「のちにきたるべきときと、ことがら」への「過渡的」なものだと考えて生きてきた気がします。
受験勉強など典型的にそういうものと考えて耐えていました。

でも、ある時から、私は「いま」「ここ」がすべてなんだと思うようになりました。
それは、ある苦悩の果てに至った思いです。

「過渡的過程」として考えたのではもう一日たりと耐えられないし、むなしすぎる。
「いま」「ここに」生きていて、それこそが唯一無二の存在であり、真実なんだと
思ってこそ、苦しみにも耐えらるし、また、善くあろうと努力することもできると
思うようになったのです。

それは、悲しさの果てに至った思いであり、ある意味では
生命力の衰えを反映しての(未来なんて考えられない、今だけで精いっぱいだと)
考えであったのかも知れませんが、その考えは、その後も変わらずに
持ち続けています。

未来のために「準備し備えておく」などと考えたら、
ただ不安や怯えしか感じられない「お先まっくら」の時代です。
だからというわけではないけれども、今日を生きられたことを喜び、
「明日のことは明日にゆだねる」気持で生きなくては、
息を切らせて駆け抜けていくだけの一生になってしまいます。

「一所懸命働き続けてきたのに何にも蓄えもできなかった」と
むなしく、うらみがましく思うのではなく、
「あれがたりない、これが無い、といいつつ結局何十年を生きてこられたんだ」
と思うのが正しい気がします。

本来無常、一切空のこの世を、しかし一日、一日と、生きてきた、
生きてこられたこと、それをうれしいと思いながら
生きていきたいです。
その一日、一日の中で出会ったもの、人、ことがらをまっすぐに受け止めていきたいです。

いつ「目覚めない朝」がきても、それはいい。それが天命ですから。
ただ、目覚めた朝には、「今日も生きよということですか」と合掌して受け止めて、
精いっぱいに生きることですね。

あなたのいのちの水は、溶けて流れ、ものみなをうるおし、そして、
「海」に流れ入って、遂に「一味(いちみ)」のものとなるのですね。

私もまた、そう生きていきたい。そしていつの日か、
あなたと同じ「海」に流れつきたいと思います。

初めまして - けんママ

2010/01/17 (Sun) 09:21:37

私の勘違いでなければ、もう10年以上前になりますでしょうか、健康相談室の時にいつも拝見しお世話になっていました。いろんなお話も読んで楽しませていただいていました。
またあのページが見れたらいいのにとずっと思っていました。思いを伝えられてとても嬉しいです。
もし間違いでしたら失礼いたします。

なんと! - 次郎

2010/01/17 (Sun) 09:27:48

私の「Dr.Mの何でも健康相談」のことですね。
そう……もう、十数年昔になってしまったんですね。
「コーヒー・ブレイク」の話なども読んでくださっていたのですね。
あのころはまだ私も若かったです。
「健康相談」は、ちょっと「サイコ」っぽい人に
「回答が気に入らない」としつこくからまれたり
妨害メールをしかけられたりしたこともあって
何年かでやめてしまいましたし、「文学館」も
その後ある思いから閉めてしまい、この十年以上、
ネットからは「消えて」生きてきましたが、
少し「転機」になることもあって、
もう一度「素直に」生きてみようかという気持ちになりました。

「見つけて」下さって、本当に、ありがとうございます。
人は「求められて」生きることができるものなのでしょう。
だから、私も、また生きていくことができます。じっと見ていて下さるだけでもいいです。
その優しい視線を感じながら、頑張っていってみます。


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